学生のツボがわからない。
大学で教えるようになって6年目が過ぎようとしている。10〜30人程度の少人数で行う授業ばかり担当していることもあり、なるべく一人一人と向き合うように心掛けている。自分の学生時代(遠い昔のことだが)と比べ、世間で言われているような学生像を重ねながら、目の前にいる彼らの実像に迫り、そして距離感をつかもうとしてきた。
そして探す。どこを押せば響くのか、なにを示せば目を見張るのか、どうやれば自ら動こうとするのか。
大学教育で、教員が学生におもねる必要はないのだが、昨今の社会経済状況と現代の大学生の特性を踏まえ、少し学生側に寄 った授業を行いたいと考えている。それが、サラリーマン経験を経て教壇に立つようになった私の役割であり、また、観光やまちづくり分野での教育効果を高めるに当たって、最も手っ取り早いと考えるからだ。
そうしてきてこの6年間でわかったことは、学生のツボはまるでわからないということだ。塊で見ても一人一人を見ても、わからないと感じることのほうが遥かに多い。 これは飛びつくだろうと いうネタ(専門的知見や解決手法、事例や例え話、アルバイトやボランティア、冗談等)には見向きもせず、逆にそんな期待もせず話したことに食いつきがよかったりする。
これは私と学生との意識のギャップと、私自身の若者像と実際の若者像のギャップが理由と思われる。前者は年齢差が拡大するとともに私の頭が硬直化していくなか、埋めることは至難の技であろう。後者については今後徐々に近づけていきたいが、まだしばらくは乖離を受け入れるしかない。
そういう訳で今のところ、授業等では大枠を示してあとは好きなようにやらせることを基本 にしている。一方的な思い込みは捨て、授業目的に合った様々な 材料を示し反応をうかがう。縮こまっていると見れば、自信をつけさせて思い切ってはみ出させる。散り散りになりそうな時は、中心となる思いを聞き出しメリハリを意識させる。うまくいかないことも多いが。
試行錯誤が続く授業等は、私にとって刺激的かつクリエイティブな時間だと感じている。同じ枠を示しても、去年と今年の学生では、本当に効き目のあるツボは少し違っている。今年の学生のなかでも一人一人異なっている。答えがいろいろあることも学んでほしいとよく言っているが、そういう私もまた、多くの答えをこの歳にして学んでいる。
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