左右で目の大きさが違う。写真写りは必ずそうなっている。
左が強度の近視。右との視力差が大きく、見える方で見る癖がついているようだ。そのため、片方は鋭い目つきでよく働き、もう片方はいつも焦点の合わないとぼけた目つきで休んでいる。
視力矯正は中3ぐらいからと記憶している。高校時代はメガネ、大学生以降、コンタクトレンズを併用して生活していたが、40代後半になりドライアイが辛くなってきた。視力も下げ止まらず、今やメガネなしの日常はありえない。
かつて診てもらった眼科や眼鏡店は、異口同音にこう言う。
「メガネで左右同じ視力に矯正すると、左右でものの大きさが違って見えて頭痛等の悪い影響が生じるから、左は度数を落としておく」
その処方によって、私の左目はますますサボるようになり、右目はその分、しゃかりきにピントを合わせ多くの情報を伝達し続けた。そして、片方は働き方すら忘れ、ついには脳からの信頼を失った。もう片方はできるやつとして馬車馬のように扱き使われ、疲弊していったのだ。
もしかすると、ある時点からの思い出で浮かぶ残像は、すべて右目によるものかもしれない。ゴルフで球に当たらないのは、両眼視ができず距離感が狂うからに違いない。締め切りが迫らないと仕事を始めないのも、左右の視力が異なる不同視のせい(まさか)。
1年半前に、その矯正のやり方が間違っていたことに気付かされ、メガネの度数を変えた。最初は左目がびっくりして、毛様体筋に疲れがたまり、寝る前の眉毛マッサージが習慣になった。無理もない。毎日のんびりと何もせず過ごしていたのが、急にフルタイムで働いた上に残業しろと言われたようなものだから。
そして今、左目の視神経たちや毛細血管たちは、長年のサボり癖を悔い改め、ようやく見ることに目覚め始めている。写真写りも、少しキリリとした気がする。左目で見る世界や両目で見る世界がこれからやってくると思うと、それだけで少しワクワクする。
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